みなさま、お元気ですか?と言ってももうこのブログをずっと読んでくださっている人はそんなに多くはいらっしゃらないと思うのですが…半分くらいは自分の中の気持ちを言語化するために記事を書いてます。お付き合いくださり、ありがとうございます。そして初めましての方は改めまして、よろしくお願いいたします。
さて、わたくしほっこりですが、2020年2月にタイより本帰国してから主婦をしたのち、2021年4月から2年間、小学校の1・2年の学習補助として働きました。30年のブランクを経ての職場復帰は、もう子どもたちが可愛いのなんのって、そしておよそ言葉というものが通じない子どもたちにどのように授業を行うのか、その先生方の奮闘ぶりには心から感服する2年間でした。俺はどんなに部活動がなくても、小学校の先生にはなれねえ、そう思い続けた2年間でもありました。その辺のことはこの記事にまとめました。
その後、古巣とも言える中学校界隈に異動した私ですが、思いがけず英語の補助教員となり、結局3年間勤めました。何が怖いって、私は英語なんて1ミリも好きじゃないのに、全然理解もしてないのに、英語の先生の「フリ」をしないといけない。インドであんなに英語を話せなくて苦労してきた私が。最初は本当に半泣きでした。
ところが3年間英語の授業をガッツリ見てきて、「え!英語って面白い!」となり、私は英語が大好きになりました。英語の教科書も内容が結構重厚で、中学英語だけでも完璧に学べば、簡単な会話はできるようになるレベルになってきているなと感じました。完璧にというのがとても難しいのだけども。3年の間に私は英語の教師の資格を取ろうと思いつき、通信制大学に入学し、コツコツ勉強を始めたのもこの3年の後半でした。あともう少しのところまで来ましたがまだ志半ばです。とりあえず、インドで話していためちゃくちゃ英語が、なんとなく体裁を整えられ、少しだけ英語で一人言を言ったり、ALTと会話したり、そんなに嫌がらず発音ができるように成長しました。
そうこうしているうちに、この2026年4月より、私はまた突然「かがやき」という特別支援教室を担当することになりました。しかも学校も異動となり、まさにゼロからの再スタート。この辞令がきたのが3月なので、まさに晴天の霹靂でした。「かがやき」というのは、普通学級に普段は所属して通常授業を受けている生徒の中で、学びにくい部分があったり、フォローが必要だったりする生徒を、週に一回取り出して、1〜3人くらいの少人数で学ぶという制度です。学力が低いだけではなく、学びにくさの根底に何がしかの要因があると判定された生徒が対象になります。その上で本人が希望しないとかがやきを利用できない、という教室です。学校によっては5日間で5時間フルに入るところもあるとか。私は今のところまだそこまでではないですが。国語と数学が対象教科なのですが、80%くらいは数学がリクエスト。私にとって数学は、好きじゃないという表現では生ぬるい、いわば宿敵のような存在です。教科書をじっくり読むなんて…しかも全学年担当だなんて…「できる気がしない」という、不安しかないスタートでした。大人になって改めて教科書をじっくり読んでみると、なるほど、教科書って、まず考えさせようとするあまり、こういう、色々な意見を出し合うシーンが多いということが分かりました。

これって、数学が苦手で興味のない人にとっては、何をしようとしているのかよく分からないくだりで、なるべく早くこの話終わりたい(早く結論を教えてほしい)のに、あおいさんが場を混乱させるちょい変なことを言ったり、せっかく話が終わりそうだったのに、ゆうまさんが「じゃあこの場合はどうなるんだろう」と話を広げてきたりするんです。心底やめていただきたい。最初からくっきり結論を言っておくれよ。まあ、この「考えさせる」がまさに学校の真骨頂なんですよね。分かってはいるんですけどね。
でもエライもので、このにっくき点Pがなぜ動くのか、やっと私は理解しましたよ。この範囲の中での、あらゆる場合をイメージしたいんですよね。それなら動き続けるしかないよね。
このように、4月から3ヶ月で、宿敵である数学と少しずつ和解を遂げた私は、中3の実力テストを自ら解くことを喜びとし始めています。これを読んでいる良い子の皆さん、分かりましたよね?何事も練習なのです…!!!

見てくださいこの必死な計算の数々…焦りが伝わってきましたか…そうですか…。
そしてもう一つわかったことがあります。今の私がなぜ昔と違ってあっさり短い期間で数学と和解できたのか。それは、「できなくて当然。できないことが悪いことではない」という前提があること。出来ないことは悪いことではない。わからないけど理解しようとし続けることこそが大切で、先生に説明してもらって考えて、それでも分からなかったらまた先生に質問したらいいよねってところです。わからないからもういいや、ってなってはゴールは遠のくばかりです。今わからなくても、いつか分かる時はやってくる。と考えれば嫌にはなりにくい。例えば問題を間違える度に、「なんで間違えちゃったんだ。自分はなんてダメなんだ」とやってると、本当に勉強やテストが嫌になってくる。「えっ、どこを間違えたんだろう?本当はどうすればよかったの?ああそういうこと?!」と知る喜びにしてしまえば、そんなに嫌ではなくなる。簡単に言いますがすごく難しいことですよね。でもそういうことなんです。
まあ、そんなわけで、私は4月は右も左も分からずかなりガッカリして暮らしていましたが、少しずつ持ち直して、今は元気にやっております。皆様もそれぞれの持ち場で変わらず暮らしておられたらいいな。

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