不登校からの、高校退学してから1年の娘近況

高校の辞め方

ずいぶん更新が滞っておりました。

長女ラスカルが県内1番の進学校に入学して2年、その高校の空気感や方針、先生方の授業や部活の指導に必死で従ってきた結果、鬱を発症し、2年が終了すると共に高校を退学しました。その後のお話をここではしたいなと思います。

そもそもなぜ退学だったのか

私が最初に感じたことは、先生方の指導の通りに行動した結果が「鬱発症」だったので、最初は、「どう責任取ってくれるのかな」という気持ちでした。

彼女は小学校の頃から、先生や学校が望む生徒の姿を察知し、それに近づこうとする子どもでした。中学校まではそれでなんとか上手く行ってたのですが、高校になった途端に、そんな子どもたちが大人数いるためか、全く「褒められなくなった」と感じて、だんだんモチベーションが下がってきました。

褒められるどころか、「出来て当たり前」で、できなければ叱られる、みたいな環境が「進学校」の内情でした。叱咤激励とかじゃないんです。出来ないと認められず、無視され、あまつさえ不満を言われるんです。これが教育と言えるのだろうか…?私も教育現場にいる身としては、衝撃でした。

でももちろん、学校はそんな責任は感じてもいないし、取ってもくれないので、本人と親がなんとかするしかない。

ラスカルはとにかく学校に行こうとすると腹痛が始まり、無理矢理行くと涙が止まらない、などの身体的な反応が顕著で、学校を辞めさせることで心身ともに回復しないと、もっと酷い状態になりそうでした。本人曰く、学校登校中に「消えたら楽になるのかな」などと考えていたそうです。

退学はとても簡単で、退学したい旨を担任に伝えて、用紙に記入すれば終わりでした。学年主任は「今よりもっとよい選択として退学を選ぶということですよね」と言われました。ということですよね?なんだその聞き方?

本来なら、最後に学校長と面談をするという話でしたが、なんだかうやむやのうちに、学年主任と担任だけで面談は終わりでした。なぜ学校長との面談がなくなったのかの説明も全くないのがすごいなと思いました。誠意はどこに?もし企業ならありえない展開。こんなだから先生は社会ではやっていけないって言われちゃうんだよ。

おそらく、以前私が3時間かけて訴えたことを、「モンペに色々言われて嫌だったし大変だった、もうこれ以上喋らせてはならない」という心持ちの中でそのようにまとめられたのだろうと感じました。私も大人なので、「はいそうです」と言うにとどめ、文句や皮肉や捨て台詞も言わず、今までお世話になりました、と言って終わりました。でもこれ書きながら思ったけど、半年以上経った今も、私相当怒っているんですね。愚痴をつらつら書いて失礼しました。

てことで、高校辞めるのは簡単でした。誰も引き留めたりしないし、学校に一回行って、一筆書けば終わりでした。

高校を辞めてからの動き

さて、ラスカルは高校を辞める前に、通信制高校への編入の手続きを進めていました。辞める前に次の高校へ行けるかどうか確実にしておくのは、鉄則だそうです。通信制高校も色々ありますが、彼女の選んだのは「東京インターハイスクール」という、文科省認定ではない「各種学校」扱いのもの。学校自体は渋谷にあり、時々行くけど基本はオンライン、というコースを選びました。そのため、ラスカルはオンラインスクールとは別に自治体の行う「高卒認定試験」を受けました。それに受かりさえすれば、高校卒業資格は得られ、大学を受験することもできます。

東京インターハイスクール

高等学校卒業程度認定試験

通信制高校は様々なタイプのものがあり、今や20万人以上の高校生が通信制高校を選んでいるそうです。個人的には、「文部省認定」で、「通える距離に学校がある」ことが1番ラクなのではと思います。同じ状況の友だちが全くいないのは、それはそれでしんどいものがあります。最も学費が安いのは、公立の通信制高校ですが、県に一校しかないので、通える範囲であれば検討しても良さそうです。また、私立では、宿泊旅行みたいなものを必須にしている学校もありました。海外留学のコースも併設している学校もいくつかあります。どの学校も、とても親身に話を聞いてくれる印象があります。お子様の希望と予算に沿って、どんな学校がいいかを決められればいいですよね。

幸い、ラスカルはその学校に編入できましたが、学費がとてもかかる(ざっと1年で100万円)ので、バイトを始めました。コンビニと、卒園した幼稚園に併設されている、発達障害の子どもたちの施設で子どもと遊ぶ仕事、そして高校生でも応募可能なオンラインの英会話塾です。

集団に所属しない彼女には、そのバイトが唯一、実社会と繋がる手段でした。また、頑張ればお金がもらえるというのも手ごたえがあったようです。高校では、どんなに先生の仕事を肩代わりして頑張っても、1円にもならなかったですもんね。同時に、自分が好きなようにお金を使うことができるようになったのもあり、彼女は少しずつ、生き生きとした表情を取り戻していきました。

とはいえ、揺り戻しのように、「なんで私は高校を辞めないといけなくなったんだろう」と思うことも定期的にあったようです。そのたびに私は、繰り言のような彼女の話を聞きました。彼女もまた、起きた出来事を消化するのに時間がかかったのです。

「もし彼女がインドに行かなかったら、インタースクールに通わなかったら、英語なんて話せなかったら、こんなことにはならなかったんだろうな」と私は思います。下手に広い世界を見てからの、閉鎖的で非理論的な日本の公教育は、とても納得できない世界だったと思います。でも、だから「行かなければよかった」とはならないです。これは必要悪、この経験が必ず後から大事な経験となる。それが我々の、藁にもすがるような共通理解でした。

長女の心の変化

バイトしたり、1人で家で勉強したりの毎日の中で、彼女は「インドに行く」ことを決めました。彼女が参加したのはこちらの主催しているツアーでした。

タイガーモブ

さまざまな失敗やトラブルをかいくぐり、予定通り、インドに行って、3週間過ごして帰ってきました。そのことで、インドの楽しい生活は、会社の庇護のもとにあったのだということは理解できたと思います。一方で、やはり日本にはない解放感や展望のようなものを感じ、生き返ったように帰ってきました。

【インド体験談 vol.7】謙虚に着実に、時には果敢に挑戦すること。

彼女の活動を、タイガーモブのインターンの仲間がまとめてくれました。

海外の大学入試についてと、今後の展望

彼女は日本の大学は受験せず、海外の大学に照準を当てて、何ヶ所かの大学に書類を準備し、オンラインで送って、大学入学のオファーをしているところです。

まずは、TOEFLやSATを1年のうちに何度か受けて、その最もよい結果を送る。また、学業以外の「課外活動」をして、レポートにまとめる。彼女の場合は、高校の部活の大会の成績や、バレエでの活動、またインドでの活動などをまとめたりしているようです。また、それぞれの大学が求めるエッセイなどを書く必要もあります。その他、学校の成績や、先生からの推薦状なども準備する場合もあります。大学によって、求められる書類は様々です。

同時進行で、学費が高いため、普通には払えないので、給付型の奨学金にも応募しないといけないので、その準備がさらに煩雑を極める感じ。

日本の大学受験の方が大変だと思っていたけれど、海外は海外で、選択肢が多くて選ぶのがまずひと苦労だったり、エッセイなんかは高額なお金を払えば丁寧な添削をしてくれるビジネスがあったり(それって実力って言えるのか?)、これはこれで大変。国によっても違うけど、アメリカなんかは大学受験が巨大な市場としてビジネス展開しています。ヨーロッパは割ともう少し堅実な雰囲気。ドバイなんかは、成績優秀な学生には、学費無料どころか、お金を払ってくれるところも。それを見てから日本の受験を振り返ると、貧富の差とは関係なく、平等に、低価格で受験できるなあと、日本の良さがわかってきたりもしました。あ、でも、もし医師の資格を取りたければ、スペインあたりが安くて良さそうかもしれない。

まあ、そんなこんなで、ラスカルは日本の受験生同様、1月現在、たいそう疲弊しているのですが、もし万が一すべて受からなければ…それでも様々な選択肢があると思っているようです。私もそう思うようになりました。人生、自分の心身の健康さえ守っていれば、「これがやりたい」という気持ちが必ず生まれる。あとはそれに従って、何とか動くだけです。もし彼女が高校で鬱を発症しなければ、私は多分、「人並みになれない恐怖」から、彼女に日本の大学を受験させようとしただろうなと思います。今は、どんな道を歩んでも、「消えたい」なんて思わなければ、ご飯がおいしくて、仲間がいれば大丈夫だし、みんなと同じが大事なのではなく、みんなそれぞれ役割分担していくことが社会だと思うようになりました。そして、娘の人生は、私には舵は取れないので、信じて見守るしかないのだなと、改めて思っています。この記事を書くのにずいぶん時間がかかりましたが、これが誰かの参考になれば、嬉しいです。

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