インドの自宅に驚き、買い物に驚く2週間

ニューデリー空港での初めての闘い

ニューデリー空港に着き、長いイミグレーションを抜けてスーツケースをピックアップし、出口を出ると、すぐに荷物を運ぼうとするおっちゃんたちが寄ってきた。何か大声で叫びながらスーツケースを奪っていく。

まだ闘うことを知らなかった我々は、文句も言わずにそのおっちゃんについていく。

これからお世話になるドライバーJさんが車のそばに立って待っていてくれて、荷物を受け取っている。ほっとしたのもつかの間、そのオッちゃんたちはチップを要求。

そのときチップを渡したのか覚えていないが、そもそも要らない場合は強くNOというべきだし、だいたい空港にいるようなそういうおっちゃんは手練れなので、100ルピー(当時約200円)くらい平気で要求してくる。市場で重たい荷物を運んで20ルピーが相場だったので、コロコロ転がすスーツケースを5メートルくらい転がしただけでその請求は、結構なぼったくりである。

最近は空港も電車が開通したり整備されたりで、そんなおっちゃんも少なくなってきたのかもしれないが…

とにかくそこにいたドライバーJさんが物腰柔らかでジェントルな笑顔で挨拶してくれたので心底ホッとする。インドは夕方で、酷暑の日本よりもむしろさわやかに涼しいことが意外であった。

新築と聞いていた自宅

空港から車で30分くらいの自宅につくと、三階建てのマンションの二階。一階には警備員とおぼしきインド人が何人かいるが、みんな目力が強い目でじっと見る感じ。

入ってみると、聞いていた通り床はゴージャスな大理石ながら、薄暗い印象の部屋。シャワールームは3つもあるが、カーテンレールは曲がったまま設置されていたり、洗面台の下をのぞくと驚くべき手抜き工事だったりと、日本ではまずありえないクオリティの部屋たちであった。またこれは後から述べるのだが、謎の部屋が中央にあった。何よりも部屋全体がうっすら埃っぽく、長らく掃除していない廃墟のような風情であった。「え、これ新築物件なんだよね?半年旦那氏が住んでたんだよね?」と確認したくなるほどの風情であった。

 

これは旦那氏がメイドさんを雇っていなかったことに起因しているのだった。

驚く我々を置いて、インド到着二日後には旦那氏は会社に出勤してしまった。これでインド駐在でよく聞く事態なので、帯同するときはこの一点をまずは心に刻むべし。つまり帯同するときの大事な注意点として、

旦那さんはほぼ役に立たない。当てにしてはいけない。

という心構えが必要なのである。
例外はあるかもしれないものの、まず彼は会社勤務が最優先で待ったなしなのであり、かなりの確率で初期から放置されると思ったほうがいい。
さらに、あなたの旦那さんは24時間フルで家事育児をこなした経験があるだろうか?三食すべて作り、片付けまで完全にできるだろうか?もしそんなできる主婦みたいな旦那さんでない限り、彼の生活情報は全く当てにならないと思ったほうがいい。
期待してはいけない。彼はここに仕事をしに来たのであり、家庭を回すために我々は呼び寄せられたのである。

つまり、一番頼りになるのは同じ立場の駐在妻しかいないのである。

てなわけで最初の1週間は、買い物の場所と仕方をベテラン駐妻に学ぶこととなった。
そういう教えてくれる人がなんとなく持ち回りで配置されているのがインドの素晴らしいところなのである。
バンコクでは会社にもよるがそういうネットワークは薄かった。ネットの日本語情報で生きていけるからであろう。

よく驚かれるのだが、ニューデリー近辺ではスーパーというものがない。(グルガオンにはあることを後で知ることとなるが)
「マーケット」と呼ばれるのはローカルな商店街みたいなところであり、ここで野菜、ここで果物、ここで乳製品、みたいに買い回らないといけない。

どの店もデリバリーしてるので、電話注文は可能だけど、何があるのか知らないと注文もできないため、とにかく最初は先輩情報とともに足で探すしかない。足と言っても自分の足で歩いて行ける距離にはないので、車(つまりドライバー)を使いこなさないといけないというハードルを越えるところから始まる。

肉に関しては特に難しく、鶏肉は売ってるけど豚肉、牛肉は限られたところにしか売ってない。そこを口コミで行って、冷凍ものをキロ単位で購入するのである。そのため駐在員はほとんどの家に業務用の冷凍庫がある。

そんな感じで日用品は各所を買い回らないといけないのだが、驚いたことに、
なぜかバッグや調度品などのブランドは、アンビエンスモールにずらりと並んでいる。
肉に事欠く状態なのに、リヤドロとかグッチとか、そういうものがなんと遠くに感じられることであろうか。
こんな非日常な店を並べる暇があったら商店街をもう少しなんとかしてくれ!と思ったが、
モールはリッチ層に向けて展開されていて、料理などを作るのはメイドなので、
奥様はモールで野菜を買うニーズがないのであろう。
商店街はインド独自の力で出来上がったもの、モールは外資の力で作られたものなのだろうなとも思われた。

途中で滞在歴4年の超ベテラン駐在マダムの助けがあり、一緒に道案内しながら買い物してくれた。
バサントビハールのCブロックマーケット(屋根があるけど壁はない野菜屋さん)で、
「バナナは房全部買わなくていいのよ。欲しい本数を言えばいいの!」
「酒屋は危ないから女性が一人で入らないほうがいいわよ!」

とサクサク説明してくれたが、その説明のひとつひとつが驚きの連続であった…!!

こどもたち学校へ

一方、まだ学校にも通わず、家では日本のテレビもなく、おもちゃもなく、アイパッドくらいしかない。外に行っても炎天下の中で野菜を買うとか、せいぜいアンビエンスモールのゲームセンターで時間をつぶすくらい。外食も全部辛いのでマクドナルドオンリー。

そんな毎日は1週間が限界でした。

2週間目、子どもたちを連れて日本人学校と幼稚園を見学。日本人がいっぱい!日本式の教室!!
あまりに楽しそうで魅力的な場所すぎて、「明日から通ってもいいですか?」と先生に聞いてしまった。

本当はスクールバスの関係があるので、日本人学校へ通う予定なら、駐在帯同日が決まり次第「初登校日」つまり「スクールバス利用開始日」を学校に連絡したほうがいいです。特にグルガオンに住む予定なら、バスの座席に限りがあるため、早めにお知らせするのがよいです。これは先にインド入りしている旦那さんにお願いしましょう!

子供たちも、こんな場所に来たかった!って感じだと思われる。
ホントはインターナショナルスクールも視野に入れつつ、もう少しゆっくり検討したかったのだけど・・・とても良さそうな学校なので、その魅力に抗えず。先生は快くいいですよ!と言ってくださった涙の出るような有難さ、本帰国した今も覚えております。

さて、子供たちも学校に通い始め、残るはまだ3歳になったばかりの末っ子フローレン(3)のみ。私用のドライバーであるファミリードライバーも来てくれた。これでかなり動きやすくなった。

ドライバーは重い荷物を持ったり、寝た子どもを運んでくれたり、色々細かい仕事もしてくれる、かなりなお助けマン。
英語が堪能なら色々話を聞けるはずだけど、こちらの言いたいことを伝えるのが精一杯。伝わったのかも微妙。

毎日なにかでテンパっていて、余裕ある駐在マダムにはまだ程遠い。

でも、インド人は親切で、子ども大好きな人達だという第1印象。
見ず知らずなのに、私がよく分かってないのを察して順番を譲ってくれたり、お店のおっちゃんも商品に不具合があったらレジでいいのと交換してくれたり。インド人って少し怖いイメージがあったんだけど、それは予想と違って本当に良かった。
今本帰国して、海外から日本にやってきて住んでいる人を見ると、心から何か困ったことがあったら手助けしたいと思う。
人は経験しないとわからない生き物なんだなあ。

マーケットで売っている野菜
一見ゴージャスに見えなくもない大理石の床がつやつやしている自宅

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