娘はいわゆる帰国子女です。小学校4年の夏にインドに行き、6年の冬にタイに行き、中2の終わりに日本に本帰国しました。

インドでは本人の強い希望でインターナショナルスクール、タイでは本帰国時の高校受験を見越して日本人学校中学部に通いました。インターはほとんどインド人だったし、カリキュラムはスウェーデンのもので、日本の教育とは内容もノリも全く違いました。そこで彼女は英語を話す楽しさを知りました。一方、タイのバンコク日本人学校は日本のカリキュラムに則った学校でしたが、私立で、日本の公立高校とはまた雰囲気もかなり違ったと思われます。
本帰国後、高校は自分で地元の進学校を選んで、帰国子女枠でかなり優遇してもらって運良く入れました。これが一見ラッキーなことでしたが、実際入ってみると、大半が小学校受験からの小中一貫私立出身、さもなくば中学でトップをひた走ってきた人たちの集団で、どちらも「コツコツ努力し続けた人」。フワッと生きて来た娘は、一年かけて授業についていけなくなりました。予習と復習を必ずしないといけなくて、その上に小テストや模試がひっきりなしにあり、定期試験も範囲が広く、実力テストみたいな問題も出るような内容。他の子のようにコツコツ勉強する習慣がない娘は、予習と復習もままならない状態でした。
彼女は高校生活に色々夢を描いていたので、部活に2つ入りました。さらにバレエも再開。学校の後、何かの活動が入り、夜遅くに帰宅する毎日。予習復習どころか、塾にも通う余裕がなくなり、すこしずつリズムが狂い始めました。
決定打だったのは、1年の終わりに部活動の部長になったことでした。対外試合の計画や相手高校への連絡、部のスケジュール管理、部員への連絡などの、普通なら顧問の仕事ではないかと思われる業務が、「自主性」の名の下に、彼女ひとりに任せられました。もしどこかで失敗すれば、多方面に迷惑がかかるというプレッシャーもあります。保護者からのクレームは顧問の先生が受けてくれましたが、筋違いなクレームに反論することもなく、そのまま部員に下ろします。部員全員で決めたことへの、我が子可愛さが言わせたクレームでしたが、そもそも色んな事項を最後に決定するのは部長です。「ちゃんとできない私が悪いんだ」と、娘は自分を責め続けました。
2年になると、夏休み明けあたりから遅刻と欠席が大幅に増え、親の目から見てもこれはヤバいなという感じになりました。いつも泣いてるし、悩んでいて、起き上がれなくて寝てる感じです。疲弊しきっているのがよく分かりました。部屋を片付けることもできず、踏み場のない部屋で、ずーっと布団にくるまって寝ているような日が週に1〜2回ありました。頑張って学校に行っても、授業中に涙が出て来て、泣きながら受けたこともあったそうです。親から見ても、驚くまでの変わりようでした。
最初は「しんどいから休んでるのだろうな」と思ったり、「頑張ったら行けるのになんで」と思ったりしていました。怒ったり怒鳴ったり、送迎してみたり、話を聞いたり、学校に文句を言いに行ったり、私の立場からできることは思いつく限り色々やってみました。オンラインの心療内科で薬をもらい、少し回復しましたが、完全に復活することはなかったです。そのうちに私はこう思うようになりました。
「この子は先生の指示する通りに、期待する通りに努力し続けてきたから、努力不足ではない。彼女は何も悪くない。なのに、こんなに基礎的な心の部分が損なわれてしまった。学校とは?そもそも、何ために勉強をし続けないといけないんだろう?」
そう思って見ると、進学校ってなんだろうと不思議に感じ始めました。勉強が大好きで、もっと追求したくて、あるいは友達と切磋琢磨したくて進学校に入る人はいいんだけど、勉強し続けたらより偏差値の高い大学に入れる、という目的で勉強している人は、「より偏差値の高い大学に入るは何のためなのか」ということについて考えたことがあるのだろうか?と思ったのです。大学はそれぞれ学部があり、やりたい専門があって、その学部がある大学なら、どこでもいいはずです。偏差値がいくつか違ったりしても、学べる内容にさして違いはないのでは?また、有名な偏差値の高い大学を出たとしても、その学部選びをミスしたら、その学部が有利な就職先にいかないといけなくなる。何が言いたいかというと、1番大事なことは、その子に合った仕事に就くために、大学に入学することが大事なのであり、ただやみくもに偏差値のより高い大学に行くように指導することが「教育的」ではない、ということです。
もちろん、勉強がよりできた方が「選択肢が減らない」のは間違いないです。でも、どんなに多く残っていたとしても、最後にはその選択肢から、ひとつ選ばないといけないのです。選んだ選択肢の中には、そこまでの勉強は必要ではない場合だってあります。勉強が無駄だと言うのではなく、もちろん、多くの知識があった方がより精神的に豊かな人生が送れると思います。でもその知識や豊かさですら、勉強とイコールではない。偏差値を上げるために闇雲に何かを暗記させることとイコールではないはずです。
私は小学1年で学習支援員をしています。椅子に座れないような子を座らせ、一年経ってもひらがなが読めない子にひらがなを書かせています。この子が努力して「通常コース」に乗らないと、この子自身がとても大変な思いをすることになるだろうと、その一心で仕事をしています。
でも、私が導こうとしている先は、このコースなのか、学校教育で努力して勉強し続けてきた子どもの行き着く先である進学校は、最上部の層が首尾よく東大に何人入れたか、の確認の場であり、落ちこぼれた子どもに補習をしたりすることもほぼない。つまり、子ども一人ひとりに合った進路を一緒に考えてくれる場所ではないんだなと、目の前が暗くなる思いでした。もしかしたら私学は違うのかもしれないし、都道府県によっては違うのかもしれないですが、娘の通っている高校は「県内で最も勉強ができる子どもが通う高校」と言われています。集めるだけ集めておいてこんな感じなんだ、と、心から失望しました。
今、娘は高2で、単位を落とすと留年する状況にあります。「あと一限休めば留年になりますので」と電話が担任から一本あっただけの状態です。最後の頼みの綱である担任にどんなに訴えても寄り添って頂けなかったので、もうどんなに頑張っても、今年度でこの高校を辞めることになると思います。娘は自分で選んだ通信制の高校へ行き、その後海外に留学したいという夢を持っています。
いざ学校を離れると決めると、親子ともども、すごく楽になりました。もちろん定番のコースを外れる怖さはあり、お金もかかるし、今後親としてどうしたらいいのかの悩みは尽きないですが…バイトして、好きなことをしながら、自分の人生を楽しんで生きて行ってくれたらそれでいいと今は思っています。毎日心が重くて、泣きながら、腹痛を抱えながら登校する娘を見なくてもいいと思うと、春が待ち遠しいくらいです。
結論を今の時点でまとめると、帰国子女として海外のさまざまな学校を見てきてからの日本の公教育がとても圧が高く、魅力が少なく、耐えられなかったのではないかと思います。それしか知らなければ耐えられるのかもしれないけど…クラスや部活では、誰も意地悪ではなく、むしろ優しい友だちに囲まれていたのですが、合わなかった、それだけのことなのだろうと思います。
あと一年したらきっと巣立ってしまうだろう長女と、一緒にいられる時間を大切にしていきたい。今私が思っているのはこの一点です。今後どのような展開になるのかは分かりませんが、娘が自分の足で歩いていくことを信じて、ただ一緒にいたいと思います。
長らく読んでいただきありがとうございます!!またその後の報告が出来ればと思います。

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