家事について思うこと。家事と直結している大切なこととは

こんにちは。インドからのタイ駐在を経て北関東に本帰国したほっこりです。

昨日の宇都宮は寒かったけど、流石にもう使わなくなったオイルヒーターを掃除して、仕舞いました。
結婚した時に買った、15年選手家電の1人です。

このパネルの多さは、パネルが空気に触れる面積が多ければ多いほど効率よく空気を温められる、計算されたフォルム。
でも一方で、静電気によるホコリの吸着もすごくて、掃除が大変なんです。
仕舞う前にいっぺん綺麗にするか、と腰を据えて拭きました。
ホコリを拭き取るだけでなく、暇に任せて、手垢で黒ずんだところは石鹸を泡だて、スポンジでこすって、タオルで拭き取って磨く様にしました。
この画像はアフター画像なんですが、拭く前と比べて見違えるほど綺麗になった。
その作業をしながら感じたのは、
前の私はコレを見るたびに
「あー、ホコリだらけで嫌だなあ。掃除しなきゃ、掃除しなきゃ」と強迫的に思っているのに、全く放置していたな、という実感でした。
暇に任せてと言ったけど、やってみたら30分くらいでできたんですよね。
そしてその作業は「快感」で、終わったらこの家電に愛着が増したのがわかりました。
掃除しなきゃ、しなきゃと思いながら放置していたのは、覚えてないけど3年とか。
その約3年前にした掃除もおざなりにササっとやって、カバーもかけずにしまってました。
なんていうのかな…
掃除する、しないの話ではなくて、
別に汚くても使えるのだから、掃除なんてしなくてもいいんです。
でも気になっているのに放置している過去の自分のことが、逆に不思議というか、なんでやらなかったのだろう?
と、素朴に疑問に思いました。
当時はとても忙しかったと思う。常に小さい子がいて、授乳もして。上の子は幼稚園で、やりたいこととやらねばなことが山積していて、寝る時間も惜しんでたのかも。
でもこのオイルヒーターを見るたびに罪悪感を感じるほど思ってたなら、掃除した方がラクだったねと思う。
そんなことをゆっくり考えられて、暇って素晴らしいね…

要らないバスタオルの端をミシンで縫って仕舞いました。
後から買ったオイルヒーターは新しいタイプなので、掃除する必要がほとんどない!進化が凄い…

それにもカバーをかけて… 

空いていたスペースに入りました。なんというスッキリ感。
「整理整頓や掃除は心に直結しているな」
というのが、本帰国してから2か月間、ずーっと片付けと断捨離をしてきた私の実感でもあります。
家事ってルーティンが多くて、達成感ないし、評価もされなくてお金も儲からないし、なるべくなら人にやってもらいたいと思っている人、多いと思います。
達成感と評価がもらえる種類のことをもっとしたいですよね。
家事については、私も今では子どもにも振ってるし、幸いなことに旦那さんにもやってもらってます。
赤子を抱えて1人でやっていた以前よりも、かなり楽になったと思う。
またその後のインドやタイでは、メイドさんをお願いして、家事の大半を手伝ってもらってました。
それはそれで一人でやってたら倒れていたかもしれないし、あんなに出かけたりブログを書いたりできなかったかもしれない。
メイドさんの仕事ぶりを見て、学ぶことも多かった。だからこれはこれでよかったと思う。
でもホントに例えばお金に困ってなくて、今後もずーっと家事を誰かに一切合切やってもらったらどうなるのか…
それは「生きることそのもの」を手放すことになるんじゃないかな?と
最近強く思う。
家事は生きること、考えること、心に直結していると思う。
だから、もしこれを読んでいる人が家事を全く!!していないとしたら(そんな人いるのだろうか?)
少しでもやった方がいいと思うし、この言葉の意味がわかってもらえるのではないかと思う。
自分の住まいを掃除して、自分の服を洗濯して畳んで、自分の好きなものを作って食べて、自分の子どもを育てる。
そして、その作業を手を動かしながら色々なことを考える。
今コロナで家にずーっといるとまさに家事と向き合うことになるけど、
それは生きることと向き合っているってことなんだろうなと思う。
インド時代もタイ時代も、外にばかり出かけて、家のことをおざなりにしてきた自分を感じるので、余計にそう思うのかも。

あーめんどくさい、やりたくないと思っていたことの中に思いがけない「快」があったという発見の話でした。
また外に目が向いても、この期間に感じたことを忘れないように、備忘録として。

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